かるがも俳句会 平成28年1月21日(木)、石神井公園区民交流センター
- 病む母にまじなひほどの雑煮餅
- 宮田 敏子
- 空からのスポットライト冬夕焼
- 森永 順子
- 寒の入布団に埋もる子の寝顔
- 野々村 桂
- 急死して寒菊浴びて妻笑める
- 伊賀 篤志
- 白鳥の声もしばれる風連湖
- 渡部 良子
- 清正の井戸の温きに雪の舞ふ
- 鈴木 芳江
- 水仙に風の重たく匂ひけり
- 馬場 美智子
- 初詣健康願ひ鐘を打つ
- 杉本 康子
- 漣の陽のきらめきや春隣
- 熊谷 良子
- 新雪を踏みしめ学童一列に
- 堀江 康子
- 東京に生まれ棲み古り年新た
- 国岡 博子
- 初旅の傘一本を持て余す
- 今村 たかし
俳句は高浜虚子の唱える「花鳥諷詠」が広く普及しているが、明治大学特任教授の話された「俳句のアニミズム」にも大いに共感した。アニミズムとは、自然界のあらゆる物には霊魂や精霊があり、諸現象はその意思や働きによるものと考える。アニミズム社会では、人間と動物(自然)、生者と死者の間の線引きはない。例えばアイヌの風習イオマンテでは、ヒグマは天では人間の姿をしているが、人間のために熊に仮装してその肉体を「お土産」として持ってくる。そこで熊猟の際は、魂を送るための儀式を行う。熊が天に帰る際は、神々が祝宴を開くために、お土産(供物)をたくさん持たせる。こうして熊は、「人間に大切にされ、こんなにおみやげをもらって来た」と話す。すると「では来年は私が行こうか」という神が現れて翌年も熊がとれる。俳句でも霊が対等に存在する例として、「閑さや岩にしみいる蝉の声(芭蕉)」、「凍蝶の己が魂追うて飛ぶ(虚子)」、「とる茄子の手籠にきゆアとなきにけり(蛇芴)」などがある。霊=スピリットが存在して現れるという考えは縄文人に見られる世界観と感性であるが、実は現代にも生き続けているのである。(たかし)