かるがも俳句会 平成28年8月18日(木)、石神井公園区民交流センター
- 蚊遣火や雑魚寝の白き足の裏
- 馬場 美智子
- 急坂に行こうか戻ろか炎天下
- 杉本 康子
- 走り出すねずみ花火に追わるる子
- 宮田 敏子
- お決まりのポーズを決めて浴衣の子
- 森永 順子
- 山の日の法螺と僧列薬王院
- 鈴木 芳江
- 向日葵の見張りのように抜きんずる
- 熊谷 良子
- 秋立つや陛下の言葉しみじみと
- 高橋 武司
- 夏の宿目覚めて窓にオリオン座
- 伊賀 篤志
- 台風の去りて夕べの虫の声
- 長束 留美子
- 空壜にコイン八分目金亀虫
- 堀江 康子
- 灯籠を放ち祈りの手となりぬ
- 国岡 博子
- 魂も声も沈めて流灯会
- 今村 たかし
私も旅は大好きです。ことに秋風が吹き始める気配が感じられる今日この頃は特に旅にいざなわれます。旅は人生そのものだと良く例えられますが、私も同感です。芭蕉は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と辞世の句を遺して逝った。また、西行も「ねがわくば花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」と詠み、自らが歌に託した望みどおりの生涯を終えました。山頭火は行乞記の中に「このみちや いくたりゆきし われはけふゆく」と詠んでいます。山頭火にとって旅は彼の人生そのもの、そして旅の途中で果てた。旅はかくも人を駆り立てるのだろうか、ゲーテは「旅すること、それ自体が目的である」と書いています。目的地を目指すことも旅だが、その旅を続けることそのものが旅だということです。芭蕉の「奥の細道」の書き出しにその説明があるように思えます。月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。(中略)故人も多く旅に死せるあり。予もいずれの年か、片雲の風にさそわれて、漂白の想ひやまず(中略)春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず」と奥の細道は始まります。この文章ほど旅にいざなわれる心を見事に表現しているものは他にないでしょう。さあ、私も遺された体力知力掻き立てて、最上地方の里山に点在する観音霊場巡拝の旅に出ようと思っています。(武司)