かるがも俳句会 平成29年4月27日(木)、見沼通船堀公園吟行
- 木道に木漏れ日さして竹の秋
- 千味 幸太郎
- そよ風のひとひら落す竹の秋
- 熊谷 良子
- 八重桜花の下にも花積みて
- 渡部 良子
- 軒先に玉ねぎ干され風きらら
- 長束 瑠美子
- 落ちてなほさらに色なす桜かな
- 森永 順子
- 春陰や通船堀の水ゆるむ
- 伊賀 篤志
- 菜の花の川の流れを見てをりぬ
- 倉島 恒子
- 青き踏む吟行会に初参加
- 鳥居 とく
- 著莪咲くや通船堀のささ流れ
- 国岡 博子
- 風薫る女体新橋渡らうか
- 今村 たかし
JR武蔵野線「東浦和」駅から約10分程で公園に着いた。見沼通船堀(=みぬまつうせんぼり、国指定史跡)は享保16年(1731)に開通したわが国最古の木造の閘門(こうもん)式運河である。本流の芝川と用水との水位差が3mあったので、関を設けて水位の調節を行い船を運航した。この通船堀の開通により、荒川、隅田川を通り江戸へは農作物や、薪、柿渋、味噌、醤油などを運び、江戸からは肥料や、油、日用品などが、運ばれた。昭和6年、約200年続いた見沼通船は役目を終えた。訪れたときは、八重桜がほろほろと散っており、堀の周りには菜の花や著莪の花が一面に咲いていた。また竹林がとても美しかった。何でも屋のお婆さんは、戦争のときは東京が真っ赤に燃えていたと話していた。その家の軒先には玉ねぎが干してあった。堀には女体新橋という名の橋が架かっており、附島氷川女体社本社という社もあった。女体がどう関係あるのかは不明である。幕府から通船の差配役を任されていた鈴木家の住宅(江戸後期の建築)も残っている。今回参加の10名はその後、秋津へ行き、不二家で昼食と句会を行い散会した。好天にめぐまれた一日であった。(たかし)