21 6月

2021年6月例会より

かるがも俳句会 2021年6月17日(木)、石神井庁舎


やっとさあリズムリズムの腰団扇

蚕豆の一列縦隊喇叭吹け

神官の袴より濃し花菖蒲

自転車を止めて姦し立葵

角砂糖めく石段に蟻の道

サングラスいつもの道も旅のやう

指先にとまる蛍を如何にせん

ほろ苦き恋の思ひ出蛍の夜

何たって江戸は堀切あやめ草

外山 正枝

井筒 亨

原口 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

長束 瑠美子

熊谷 良子

堀江 康子

今村 たかし


朝7時にゴミ出しに外へ出ると、今年1月頃の緊急事態宣言時は駅へ急ぐ人の流れが少なかったが、6月時点での緊急事態宣言下では例年の人の流れと変わらない感じだった。テレワークも当初は官民あげて推奨していたが、大方の企業はやはり元へ戻ってしまったのだろうか。いよいよ新型コロナウイルスのワクチン接種が開始された。練馬区の場合は75歳以上の方は5月17日より対象で、頼みの綱のワクチン接種が進めば感染者数も減少すると期待した。でも、現状は下げ止まりでなかなか思ったほど減らない。東京オリンピックがいよいよ7月23日より開始される。でも、事前練習で来日した選手団の中で早くも感染者が出ている。さて、今年の夏の日本はどうなるのであろうか。我々の生活が平常通りであることを切に願うこの頃である。(たかし)

30 5月

2021年5月例会より

かるがも俳句会 2021年5月27日(木)、石神井庁舎


ままごとの飯もおかずも桐の花

ネモフィラの青のとけゆく夏の海

新緑や身のうちに聴く風の音

浜小屋の海胆割く女の指太し

遮断機のゆるゆる上る薄暑かな

紫陽花の色増してゆく小糠雨

新茶淹れお客一人のBARの午後

とてとてと歩く幼に若葉風

人去つて人恋ふ夕べ新茶汲む

外山 正枝

井筒 亨

原口 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

長束 瑠美子

野々村 桂

堀江 康子

今村 たかし


新型コロナ(以下コロナ)を如何に詠むか:「コロナ」という語を使って句作することを伝統俳人?は嫌うようです。「コロナ」を使うと詩にならないのでしょうか。坪内稔典氏は俳句は時代の言葉を活かす詩であると云いますが。以下「俳句α」からの孫引ですが「コロナ」を使わず「コロナ」を詠む句をいくつかみて皆様の感想を伺いたいと思います。①汗拭いてあせのまなこを暝りをり(山浦み矢子)、②客のゐないお化け屋敷の暑さかな(仁平勝)、③飛沫ガード付け春服の受付嬢(杉山三枝子)、④疫病(ときのけ)のマスク外せば秋の風(行方克己)、あとの二句は確かに「コロナ」と分かりますが。「コロナ」を使うと何故詩にならないのかが私には今一つ分からないので困っています。「コロナ」が「太陽の炎環」という第一主義はとっくに失われていると思います。マスクの季節性についても考えさせられます。(亨)

18 4月

2021年4月例会より

かるがも俳句会 2021年4月15日(木)、石神井庁舎


春キャベツマヨ片手にシャキシャキと

桜蕊降るリハビリの帰りかな

山うどの白さ今様イタリアン

土筆伸ぶ荒川土手の通学路

かがり火の光返して散る桜

玉露の香変らぬ叔母の春火鉢

裏山に筍掘りの声のあり

白椿コトンと落ちて知らぬ顔

つぎつぎと鶯鳴きて去りがたし

一時に咲ける牡丹を惜しみけり

一陣の風に膨らむ花筏

清音も濁音もあり春の雨

外山 正枝

井筒 亨

原口 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

猪越 紀子

鳥居 とく

長束 瑠美子

熊谷 良子

宮田 敏子

堀江 康子

今村 たかし


私のお花見の思い出といえば、大阪「造幣局の通り抜け」である。紅い、ポッテリした八重桜で、全長560mの狭い一方通行の道である。肩が触れ合う位に混み合っていて、立ち止まってゆっくり花を眺めるという風情ではない。それでも、お祭り好きの大阪人はどっと繰り出し、桜のトンネルを楽しんでいる昨年はコロナ禍で中止。今年は申込制となったが、もう締め切られたそうだ。どんな時でも自然は変わらぬ美しい姿を見せてくれることだろう。(久恵)

20 3月

2021年3月例会より

かるがも俳句会 2021年3月18日(木)、石神井庁舎


不揃いのぼたもち旨し彼岸かな

ポンポン船青き波切る春休

癒さるる「は」行の笑ひ風光る

嵩上げの土手に不揃ひ土筆かな

父の名に苔むす墓詩や寒椿

若き日の母の顔なり享保雛

さくらんぼもぎたての手のぬくみかな

春の風サイクリングをママチャリで

水芭蕉原野に音の還りけり

耕人の腰に流るる流行歌

ぼた餅の不出来を詫びて供へけり

黄水仙独りは気楽寂しさも

まずなでて春大根を輪切にす

外山 正枝

井筒 亨

原口 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

猪越 紀子

鳥居 とく

長束 瑠美子

渡部 良子

熊谷 良子

宮田 敏子

堀江 康子

今村 たかし


例年、立春を過ぎると近くの植木畑が気になる。散歩の度に畑の木瓜の木を観察するのだ。数日後、固かった蕾の微かなふくらみを見つける。胸が高鳴る。すると柔らかな光の中に数輪の赤や桃色の花が咲いていた。「寒さに耐え抜いた花は美しい」。感じたままを一句・・・いやいやそう簡単ではない。植木屋さんの白壁の塀と木瓜の花の対比は郷愁を誘う。この風景は私の最っとも待ち望んだ嬉しい春一番の頂きものである。(洋子)

22 2月

2021年2月例会より

かるがも俳句会 2021年2月18日(木)、石神井庁舎


香りたつ野蒜の酢みそ頬ゆるむ

背を丸め春は名のみと口ずさむ

青写真ぬしは坂東妻三郎

斑雪旅の途上の身延線

床一面「希望」の大文字書き初め会

身半分空に預けて剪定す

春眠や妻の愚痴さへ子守歌

鬼豆を踏みしめて知る年男

春風に入相の鐘深大寺

水仙や朝の厨に香を放つ

トラックを走る少女の春めきて

こぼれ芽や受験生は土の中

わだかまりまでもほぐるる日向ぼこ

四囲の山煙る近江の春時雨

草萌にころりと止まる打球かな

外山 正枝

安藤 よしたか

井筒 亨

原口 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

猪越 紀子

鳥居 とく

長束 瑠美子

渡部 良子

熊谷 良子

野々村 桂

宮田 敏子

堀江 康子

今村 たかし


永いコロナとの戦いにやっと希望の光がうっすらながら見えてきた。2月17日よりワクチンが医療従事者から接種されることになった。新規感染者まだまだ一定の規模から脱していないが、重症患者の数はわずかながらに減少し始めている。毎日の死亡者は二桁を維持していて新規感染者の増加防止より病床数の緊迫状態の緩和が止められている。65歳以上の対象者は4月より接種できる予定だが、それまでは今までどうりに緊張を維持して重症患者にならないようにしなければならない。もう、今の生活の閉塞感より早く脱出し元の日常に戻りたい思いである。(幸太郎)

24 1月

2021年1月例会より

かるがも俳句会 2021年1月21日(木)、石神井庁舎


小春日やなに不足なき淋しさよ

のどぐろの薄き刺身や雪女郎

福寿草咲くよかならず明日の朝

大中小土間に雪沓乾きをり

妻の愚痴トロリと混ざる冬至粥

蒼穹に命さらすや冬木立

針箱のボタン探して初仕事

紅白の梅残されしさら地かな

口角を上げて向かふや初鏡

目瞑れば寝間に入りくる除夜の鐘

子育ての終りが見えて受験の子

春立つや試飲の蔵の華やげり

一病を持ちて安泰七日粥

道場の気合窓より寒北斗

安藤 よしたか

井筒 亨

原口 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

猪越 紀子

鳥居 とく

長束 瑠美子

渡部 良子

熊谷 良子

野々村 桂

宮田 敏子

堀江 康子

今村 たかし


1月20日にトランプ元大統領に代わりバイデン大統領が誕生し、最優先課題に新型コロナ国家戦略を発表した。一方、菅総理大臣は2月7日までの緊急事態措置を宣言したものの、その先の見通しがまだ不透明である。俳句では大会など多人数での句会は相変わらず中止となっているが、当句会では3密を避け、窓を開け、早めに終了することで例会を継続している。例年であれば新年会を開催する所であるが、今年はお菓子とお年玉をお渡しすることで代わりとした。会計と監査担当が交代した。渡部さん2年間有難うございました。長束さんと鳥居さん今後2年間よろしくお願いします。(たかし)

20 12月

2020年12月例会より

かるがも俳句会 2020年12月17日(木)、石神井庁舎


手仕事も義母にかなはぬちゃんちゃんこ

冬めくや空の深さとふところと

病棟のしじまときどき虎落笛

痴話喧嘩そ知らぬふりの炬燵猫

熱燗に妻の耳たぶ借りにけり

人も木も素描のやうな枯木道

負け組の猫も空家で日向ぼこ

暁の更地突き上げ霜柱

冬日和猫はざるなか夢のなか

木守柿夕日の色となりにけり

故郷の友息災か冬茜

ひと皮を剥ぎて真白き根深かな

旋回の影も群なり冬の鳥

姉よりの添書きのありきりたんぽ

悔ゆること無しと強気に除夜の鐘

長旅の終の滑翔小白鳥

外山 正枝

安藤 よしたか

井筒 亨

原口 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

猪越 紀子

鳥居 とく

長束 瑠美子

森永 順子

渡部 良子

熊谷 良子

野々村 桂

宮田 敏子

堀江 康子

今村 たかし


この年を振り返るとコロナのことばかり。あえて昔の思い出を。ある母子のことです。母親は何か深く思うことがあったのでしょう、学生の頃に四国巡礼に・・・。今の若い人の中には御朱印を収集して旅する人もいますが、当時はその年頃のお遍路さんは珍しかったようです。彼女は後に幼い子らを残してこの世を去りましたが、その遺児の一人は成長して米国の大学に入り、その夏休みに(旧暦秋)同じように遍路に出ました。私は「血」を感じます。若い男性のお遍路は昔の母親以上に同行の目を引いたのでしょうし、かの母親の美貌も受け継いでいたろうと、次の句が思い浮かびました。「同行に美青年あり秋遍路」(紀子)

22 11月

2020年11月例会より

かるがも俳句会 2020年11月19日(木)、石神井庁舎


口いっぱい秋をほほばる栗おこは

水洟にじゃまをされつつ句集読む

湯豆腐の湯気に隠すや恋心

放課後の庭に落葉の自己主張

父の墓にわが影映る寒さかな

身の上を語り合ふ夜や秋遍路

ひよどりの群れや庭木のうめもどき

お会式や僧侶の読経とシンバルと

野菊咲く空は鰯の大群だ

野仏に供ふ山栗ひとつかみ

大根と湯気の中にて客を待つ

綿飴を孫と分け合ふ三の酉

散紅葉阿弥陀堂まで色重ね

児の影のはや少年に冬茜

外山 正枝

安藤 よしたか

原田 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

猪越 紀子

鳥居 とく

長束 瑠美子

渡部 良子

熊谷 良子

野々村 桂

宮田 敏子

堀江 康子

今村 たかし


11月22日は「いい夫婦の日」である。余暇開発センター(現在の日本生産性本部余暇創研)が1988(昭和63)年に制定した。「いい(11)ふうふ(22)」の語呂合せと、11月1日~30日の「ゆとり創造月間」の期間中であることから決めた。これ以外にも夫婦に関連する記念日としては、よい夫婦の日 4月22日、夫婦の日 2月2日、夫婦の日 毎月22日、などがある。つまり夫婦とは「いい」又は「よい」ものなのだろうか?それとも日本の夫婦はあまり仲がよくないからキャンぺーを通じていい又はよい夫婦になれという事であろうか?何れにせよ子育てを終えた我々夫婦としては、互いにあまり干渉せず、GOTOキャンペーンにも加わらず、時に静かにお茶を飲み、近所を散歩して、一日一日を無事に過ごせることがいい夫婦の日であると、私は思っている。(たかし)

17 10月

2020年10月例会より

かるがも俳句会 2020年10月15日(木)、石神井庁舎


農に生き農に生かされ秋耕す

積み上ぐる団子不揃ひ月まつる

払暁や素足の床の冬近し

新米や友の癖字の宅急便

盗人萩つけて訪ひしや業平も

故郷の夕日を分つ赤とんぼ

日常を十七文字にこぼれ萩

雨音と過ごす一日や杜鵑

絵手紙にりんごの紅を描きあぐね

木の実落おつ後にたれかゐるやうな

一人居の小半酒や十三夜

死ぬときは胸のかざりに曼殊沙華

元田 咲子

原田 久恵

水村 洋子

千味 幸太郎

猪越 紀子

鳥居 とく

長束 瑠美子

森永 順子

渡部 良子

熊谷 良子

堀江 康子

今村 たかし


新聞にこの秋は菊を飾りましょう。カラフルな洋菊をハレの日も普段使いにと多彩な菊が並んだ日比谷花壇のカラーページを見ながら思いました。そろそろ気分を変えて楽しいみましょうと軽く背を叩かれた気になりました。そして、以前勤めていた雪深い草津でも雪解けと共に次々と花を咲かせます。近くの山を散策したり秋の紅葉を楽しみながら語り合ったものです。今年の楽しみは秋の風物詩で関東一という浅草寺境内の菊花展を見たいと決めていました。残念ながらどこもここも自粛の風に流れてしまいました。どれだけの人が戸惑い困っていることでしょう。何事もなく普段と変わりなく生活できることをありがたく思う昨今です。私は俳句の人との出会い、各々の近況に共感したり思いを巡らせ年を忘れさせてもらっています。(とく)

20 9月

2020年9月例会より

かるがも俳句会 2020年9月17日(木)、石神井庁舎


露草や夜半の雫に星妊む

向き合ふも背中合はせも草の花

虫の音に満たされてをり満ちてをり

ごきぶりめ書架に侵入書斎派か

単線の頒つ花野や暮れ初めぬ

箸一善添へて仏へ茸飯

墓洗ふ手桶に水をたっぷりと

秋の夕窓辺の猫と目が合いて

どこまでも行ける気がして秋の空

万葉の空を飛びをり赤とんぼ

自転車の何時もの帰路や鉦叩

おだやかな和尚の法話秋扇

鰯雲妙義山の巌を欹てり

落蝉の来世にたたむ手足かな

青木 利子

元田 咲子

安藤 よしたか

井筒 亨

原口 久恵

千味 幸太郎

鳥居 とく

長束 瑠美子

森永 順子

渡部 良子

野々村 桂

宮田 敏子

堀江 康子

今村 たかし


9月13日に石神井松の風文化館で菊池寛についての講演会があり、お孫さんの菊池夏樹さんから色々楽しいエピソードを紹介されました。菊池寛は雑誌「文藝春秋」を創刊し、今では作家の登竜門とされている芥川賞と直木賞を創られました。芥川龍之介さんとは一高時代の同級生で交流が続いたそうです。菊池家は江戸時代に四国高松藩で朱子学をお殿様に講義する学者さんでしたが、明治に入り藩がなくなり大変困窮されました。8人兄弟の4番目とかで、遠い親戚のおばを頼って東京に来ました。練馬との関係は、菊池寛が東京で成功した後、昭和9年別邸を上石神井に夫人のために建てたとのことで、現在練馬ゆかりの作家の一人となっております。今その屋敷跡は新青梅街道沿いの練馬区立扇山公園になっています。(瑠美子)