かるがも俳句会 2021年5月27日(木)、石神井庁舎
- ままごとの飯もおかずも桐の花
- 外山 正枝
- ネモフィラの青のとけゆく夏の海
- 井筒 亨
- 新緑や身のうちに聴く風の音
- 原口 久恵
- 浜小屋の海胆割く女の指太し
- 水村 洋子
- 遮断機のゆるゆる上る薄暑かな
- 千味 幸太郎
- 紫陽花の色増してゆく小糠雨
- 長束 瑠美子
- 新茶淹れお客一人のBARの午後
- 野々村 桂
- とてとてと歩く幼に若葉風
- 堀江 康子
- 人去つて人恋ふ夕べ新茶汲む
- 今村 たかし
新型コロナ(以下コロナ)を如何に詠むか:「コロナ」という語を使って句作することを伝統俳人?は嫌うようです。「コロナ」を使うと詩にならないのでしょうか。坪内稔典氏は俳句は時代の言葉を活かす詩であると云いますが。以下「俳句α」からの孫引ですが「コロナ」を使わず「コロナ」を詠む句をいくつかみて皆様の感想を伺いたいと思います。①汗拭いてあせのまなこを暝りをり(山浦み矢子)、②客のゐないお化け屋敷の暑さかな(仁平勝)、③飛沫ガード付け春服の受付嬢(杉山三枝子)、④疫病(ときのけ)のマスク外せば秋の風(行方克己)、あとの二句は確かに「コロナ」と分かりますが。「コロナ」を使うと何故詩にならないのかが私には今一つ分からないので困っています。「コロナ」が「太陽の炎環」という第一主義はとっくに失われていると思います。マスクの季節性についても考えさせられます。(亨)